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影なき声(1958年)その2~中央線の支線~

前回に引き続き、「影なき声(1958年)」からの話題です。

主人公である南田洋子の結婚前にしていた仕事が「電話交換手」っていうのが時代を感じさたりもするんですが、殺人事件のニュースが流れてくるのがラジオだというシーンを見て「ほぉー」となりました。
この作品が公開されたのが昭和33(1958)年。日本でテレビ放送が開始された昭和28(1953)年から5年が経っているのですが、夫がサラリーマンをしている若い夫婦にとって、まだテレビは高嶺の花だったということなんですね。
確か...テレビの普及率が一気に向上するのは、皇太子ご成婚の昭和34(1959)年ですから、この夫婦も翌年にはテレビを購入することになったのかもしれませんね。

そして、この作品で私が注目したシーンがもう一つあります。

警察内で殺人事件の捜査会議かなんかが開かれているシーンだったでしょうか、黒板に殺人事件があった場所近辺の地図が貼られています。事件があった場所である小平や三鷹辺りの(簡単な)地図なんですが、三鷹駅を示す箇所から上方へ「逆コの字」を描くように支線が書かれているんですね。

これに気付いた時は「おぉーー」と声を上げてしまいました。

これは、昭和26(1951)年から昭和34(1959)年まで存在していた「武蔵野競技場線」と呼ばれるもので、中央線の支線にあたるものでした。
現在の武蔵野市緑町にあった「武蔵野グリーンパーク野球場」への観客輸送のために開業した路線で、野球公式戦が開催される土曜日・日曜日のみ、東京駅からの直通電車が運行されていたそうです。しかし、野球場自体が実質1シーズンのみしか使用されなかっため、開業翌年の昭和27(1952)年には休止となった末、昭和34(1959)年に廃止となっています。つまり、作品が公開された時には既に休止状態だったということになります。

鉄道ファンでもある私は、この路線のことが書かれた文献等でその存在は知っていました。また、高校生ぐらいまでは、祖父母宅へ行く時にバスでこの辺りをよく通っていたこともあり、当時も「ここを電車が走ってたのかぁ...不思議」と思っていました。
なので、今回このように当時の映画で(地図とは言え)痕跡を発見することができて、大変嬉しかったですね。

ちなみに...この球場が作られたのは、当時、都内でプロ野球公式戦が開催できたのは後楽園球場しかなかったため、球場不足を解消するためだったそうです。しかし、オープンの翌年には神宮球場が使用可能になったり、その2年後には駒沢球場ができたり...と球場不足が解消されたため、それら3球場と比較して都心から距離のあった武蔵野グリーンパーク球場は用済みとなったみたいです。
所沢や千葉にフランチャイズ球場がある現在、立地としては魅力的だったんではないかなぁ...と思ったります。


theme : 映画を見て、思ったこと
genre : 映画

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昭和30~40年代って面白い...ので、当時の映画・テレビ番組から気付いたことを気の向くまま書いています

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